初めてのいしのまき①
初めまして。
都甲 マリ子(とこうまりこ)といいます。
生まれは神奈川県座間市、育ちは東京都町田市、学生時代に茨城県つくば市に住み、卒業後は東京都中野区にちょろっと住んで、そのあとは主に宮城県石巻市に住んでいます。(途中3年くらい福島県福島市)
基本的には東日本大震災を契機にボランティアを通じて県外から移住してきた、いわゆる「移住組」です。
でも実は、石巻市に初めて来たのは2007年のことでした。
ちょっとだけ、昔話をしてみたいと思います。
私は学生時代、筑波大学で民俗学という学問を専攻していたのですが、この学問は「民俗を採集して民俗誌を構築する」ということを主な目的としている学問でした(と、学部生の私は理解していました)
要するに何かというと、ある地域で「どんなルールやしきたりによっていかに人々が生活しているか」をまとめていく、ということなのですが、このために特定の地域に入っていってフィールドワークする、ということが必要になります。
実際には学問としては、対象は人が住んでいる社会であればどんな場所でも対象になるわけですが、私が学部生の時には地方部に入っていって「失われつつあるしきたりや風習などを記録する」という活動がフィールドワークの訓練としてよく使われていました。
そこで、民俗学専攻の学生は、年に1回、学部生から院生、先生方まで研究室丸ごとで「研究旅行」というのが組まれていたわけです。
その、私が参加した1回目の研究旅行の地が、牡鹿半島の給分浜でした。
…しかし当時の私はそれがどこなのかは、まっっったくわかっていませんでした!
大学2年でしたが、遠距離の旅行はしたことなかったんじゃないでしょうか。。
あまりにもわからなすぎて、同じ研究室の同級生に言われるがままに夜行バスを取ってもらって、ある秋の日の早朝に石巻駅前につきました。
集合時間は午後3時。
そこからは迎えのバスが来て宿泊施設に行けるということでしたが、9時間…どうしよう…。
一週間分の重い荷物を抱えながら、駅前をウロウロしました。
目の前の商店街は早朝過ぎて空いてない!どこにも場所がない!
と言って陸橋を渡り、駅の北側に行きました。
駅北側には当時個人経営のインターネットカフェがあったのですが、ビビりの大学生3人組はその小さなネットカフェをスルーして、さらに歩きました。
バイパスまで歩いて、ガストのドリンクバーでようやく一息ついたのを覚えています。その節はありがとうございました、ガスト。
お昼前にお店を出て、「せっかく海の街に来たんだから海鮮が食べたい!」と再び駅前に。立町を突っ切って、おそらく内海橋に出たんだと思いますが世間知らずの大学生は「海に出た!」とキャッキャとはしゃぎました。(実際は川ですね。。)
船がいっぱい停まってる防潮堤を少し歩いて、ランチの看板を見つけて入って食べた海鮮丼がものすごくおいしかったことを覚えています。
(震災後に再び石巻に来た後、その時のお店を長らく思い出せなかったのですが、友福丸さんが再建した時に「あ!ここだったんだ!!」と思い当たりました)
こうして、集合時間が訪れる頃には、すっかり歩き疲れた3人組と筑波大の民俗学研究室一行を乗せて、駅前から割烹めぐろさんのリムジンバスは牡鹿半島へと出発したのでした。
その2へ続く。