初めてのいしのまき②

初めまして。
都甲 マリ子です。
この度は震災前に私が初めて石巻に来た時のエピソードをご紹介しています。

その①は過去記事からどうぞ。

2007年11月の夕方、筑波大学の民俗学研究室一行を乗せたリムジンバスが牡鹿半島小渕浜の民宿、割烹めぐろさんに到着しました。(ちなみに乗り物酔いしやすかったかつての貧弱な私は、半島の曲がり道の連続に気持ち悪くなってました。。)

それまでは割と真面目に「研究しに来たんだぞ」と思っていたんですが、豪華な食事と座敷の宴会っぽい雰囲気に途端に呑まれてしまった大学生たち…

(確かご主人がカラオケを出してくれたんですが、いつの間にかご主人のオンステージになっていたような笑)

とにかくご飯がすごかった!というのが強烈な印象です。




とはいえ、真面目にフィールドワークもやりました。
次の日からは、学生が小渕・給分・大原の3地区のグループに分かれて、それぞれの地域で迎えて下さったみなさんのお話しを伺いました。

私は給分浜が担当エリアだったので、当時区長さんだった安藤銀蔵さん初め、たくさんの方々にお話を伺いました。(震災から9年くらい経って銀蔵さんとは再会したのですが、「筑波大の学生?そんなのもあったっけなあ」くらいの記憶になっていました)

私は「葬送儀礼」というかなりマニアックな民俗採集をしていたので、地区の最高齢の方々の貴重なお話しも聞かせていただきました。

当時の写真を探したんですが、研究資料っぽいものばかりでした笑(これは2007年のもの)
震災後にここに来て、同じように石碑が立っているのに感動しました!

…言葉は当時、正直全然わからなくてものすごく大変でした。
後からレポートにまとめる際に、ボイスレコーダーの音声をものすごい時間をかけて書き起こして若干ノイローゼ気味になりました。。

なので、震災後に移住した際に皆さんから「言葉わからなくない?」と心配していただくことも多かったのですが、ファーストコンタクトが浜のおじいさんたちの言葉だったので、そんなにびっくりするようなことはあまりありませんでしたよ。

大原のバス停の前にはかつて食堂があって、海鮮ラーメンを食べて感動した記憶があります!

その際お話を伺った部落長老の安藤貞一郎さんのお宅で「こっちに嫁に来い」「医者の息子を紹介してやるから!」とお誘いを受けて、断った経緯があるのですが、それから10数年経って実際に石巻で嫁になることがあるとは。。。人生何が怒るかわからないものですね。

ちなみに現在の夫は石巻の人ですが、お医者さんではありません笑




ともあれ、7日間の日程で地域の方々に親切にしていただき、大学生たちは無事に帰ってレポートを提出したのでした。