とこうのファミリーヒストリー②

少し、個人的なルーツについて書いてみたいと思います。
本日は母方編です!(父方編はこちら


ここ1年くらいでたまにお話しするようになったのが「宮床伊達家」との関係についてです。
気になる方もいらしゃると思いますので、お話ししてみます。

とは言っても、私の姓は「都甲」になっており、父方の苗字なので遠い関係ではありますが。。


私の母方の曽祖母は明治26年に黒川郡宮床村で「伊達憲孝」さんの次女として生まれました。
白石の伊達家に一度お嫁に行き一男一女をもうけましたが、旦那さんと死別し、北海道に渡りました。
(宮床伊達家は明治以降、一度北海道開拓に行った歴史があります)

そこで小学校の先生をしていたそうですが、「バイオリンを弾きながら子どもを連れて行進する」というなんともハイカラで変わった先生だったそうです。

そこで再婚した曽祖父は校長先生でした。

私の祖母はそんな2人の間に北海道に生まれましたが、おそらく母(私にとっては曽祖母)の影響なのか「(ゴミを)なげる」とか「うるかす」とか、東北ルーツと思われる言葉をよく使っていました。

クリスチャンだった祖母は、生前ケセン語(気仙地域で使われている言葉)訳されたCD付きの聖書を買って、「(自分の)母が話していた懐かしい言葉だ」と教えてくれました。(正確には違うと思いますが)
ケセン語訳の「マタイによる福音書」はこちらから読めます。

私は当時はさっぱりわからなかったのですが、石巻に来てからその内容がよくわかるようになりました笑

マタイによる福音書8章の「嵐を鎮める」というエピソード。
「イエスが船に乗り込まれると、弟子たちも従った。その時に湖に嵐が起こり、船は波に飲まれそうになった…」という
話ですが、そりゃあ堅い文章より、こっちの言葉の方がきっと伝わることは多いでしょう笑
私は「ヤソってこういうふうに使うんだ…!」と衝撃でした。

実は、私は幼少から少し変わったことをすると「ひいおばあちゃんの血を引いているね」と逆に褒めてもらえる、という変わった教育を受けてきたのですが笑、石巻に来るまではそれが具体的になんのことなのかはわかっていませんでした。

2011年の震災を受けて、私がたまたま石巻に行ったことで、初めて祖母が今までしていた話と具体的に「宮床伊達家」というものが繋がったのでした。
2015年には、神奈川に住んでいた祖母を連れて宮床に連れて行くことができました。

宮床伊達家の御廟で手を合わせる祖母

祖母は2018年に亡くなりましたが、生前は私が震災後石巻に行ってボランティアをし、移住したことをよく褒めてくれました。
私自身も知らずしてではありましたが、自分のルーツに恥じない選択をしてこれたことを、とてもよかったと思います。