初めてのいしのまき③

こんにちは。
初めまして、都甲 マリ子です。
私が初めて石巻に来た時のシリーズ、最終回です。

のお話は過去記事からどうぞ。

大原・給分の堤防からの海。本当に美しい!

2007年の民俗学研究室の研修も、牡鹿の皆様のご協力もあって無事に終了し、学生たちのレポートは1冊の本になりました。

そこでお話はおしまいになるかと思ったのですが、学部生は年が明けて3年ともなるとアレのことを考えなければいけません。

そう「卒論」です・・・

私は当初、キリスト教徒と仏教徒の葬送儀礼の比較について卒論を書こうと思っていたのですが、あまりうまくいかず。。

悩んでいたところに、同じ専攻の同級生が「自分は牡鹿半島で卒論書くから、一緒に行かないか」と誘ってくれたのです。

それについていくような感じで、2008年の夏、再び石巻を訪れました。
駅前から鮎川に行くバスに揺られ、泊まったのは再び割烹めぐろさん。

2泊3日ほどの滞在でしたが、そこで訪ねていったお宅の奥さんが面白い話をしてくださいました。

「子どもの頃、山に咲いている椿がとても綺麗だと思って家に持ち帰ったら怒られた。首が落ちる花は家に入れてはいけないのだと教えられた」

というお話しです。

牡鹿半島には、本当にたくさんの椿が咲いています

他にもお正月のしきたりとか神棚にまつわるお話しとか、たくさんのお話しを伺ったのですが、なぜかこの話がとても印象に残りました。

その後、大学に戻った私は半年ほどかけて「常緑の葉と花の関係」という内容で卒業論文を提出して学位をいただきました。

少しだけ内容をお話しすると、椿という植物は「首が落ちる」として不吉とされ、マイナスのイメージを持った花の部分と、仏壇や神棚に備える樒や榊などに代表される「常緑樹=枯れない力を持っている」というプラスのイメージを持った葉の部分の両方を持っています。

これは一見対立するジレンマを抱えた存在ではありますが、日本では一定の力を持った存在をある面ではプラスに、ある面からはマイナスに捉えるというメンタリティがある、というお話しです。

例えば「鮎絵」というのは、元々「大なまずが地中で動くことによって地震が起こる(=マイナスのイメージ)」という民間信仰から転じて、なまずを描いた絵がお守りなどの効果を持つもの(=プラスのイメージ)として反転したイメージを持って江戸時代に流行しました。

このように、一見相反する作用を統合的に持つものの一つとして椿は分類され得るのではないか…というのが私の書いた論文でした。

執筆にあたっては、牡鹿半島でお話しいただいたたくさんのエピソードが参考にされています。

卒論はまだ持っています。久々に見たら、割とおもしろかったです(自画自賛)

震災以降、私は石巻に来ましたが、当時お会いしてお話を伺ったみなさんにはほとんどお会いできていません。
もっと早く、お一人お一人に会いにいけばよかった。。

この場を借りて、改めて御礼を申し上げたいと思います。